壁を乗り越えた時、人は大きく成長できる【ハリウッド女優に学ぶ“オンナの生き方”】
ハリウッドで成功した、強い女優の象徴でもあるシャイリーン・ウッドリー。
女優業にとどまらず、政治活動にも積極的に関与してきた彼女にも、過去には病気との闘いで苦悩した時期が。
人生には困難や障害が待ち受けているものですが、その壁を乗り越えた時、人は大きく成長することができるということを見せてくれた彼女に学びたい。
映画「フェラーリ」
シャイリーン・ウッドリー
自動車メーカー「フェラーリ」の創業者であるエンツォ・フェラーリ(アダム・ドライバー)は、難病を抱えていた息子ディーノを亡くし、会社の共同経営者でもある妻ラウラ(ペネロペ・クルス)との関係も良好とはいえない状況だった。
そんなエンツォは、愛人リナ(シャイリーン・ウッドリー)とその息子ピエロとの二重生活を妻に知られてしまい、さらに会社が業績不振によって破産寸前に陥り競合他社からの買収の危機に瀕していた。
会社を復活させるためにエンツォはイタリア全土1000マイルを縦断する過酷なロードレース「ミッレミリア」に挑むのだが…。
1980年代後半から1990年代初頭、モータースポーツの最高峰であるフォーミュラ1(F1)は日本でも隆盛を極めていました。
アイルトン・セナ(マクラーレンホンダ)とアラン・プロスト(フェラーリ)の激闘を中心に、ミハエル・シューマッハや日本人ドライバーなど多くのレーサーが活躍して、F1ブームと言っていいほど各媒体で特集が組まれ、高校生の頃の自分もそんなF1に魅了されました。
本作はフェラーリ愛好家であるマイケル・マン監督が20年以上前から企画していた作品で、当初はクリスチャン・ベイルやヒュー・ジャックマン主演の噂もありましたが、最終的にアダム・ドライバーが主演に決定しました。
エンツォは「フェラーリ」という自動車メーカーの存在を絶対的な優先事案と考え、非情とも思える態度を貫きました。
彼は、「仕事を続けるために心に壁を作った」と劇中で語りますが、フェラーリのタイムトライアル中にレーサーがコースアウトして事故を起こす様子をつぶさにみつめていた彼は、表情も変えずに別の新人レーサーに電話をかけてフェラーリのドライバーとしてオファーするのです。
フェラーリという車のレガシー(伝統)の礎を築いたエンツォの考えは揺るがず、彼の信念は“車を売るためにレースで走らせるのではなく、走るために売る”なのです。
エンツォの人生と彼に巻き込まれた人々の悲喜交々(ひきこもごも)を描いた本作を是非劇場で体験してみてください。
そして、エンツォ・フェラーリの愛人リナを演じたシャイリーン・ウッドリーは、1991年にアメリカ・カリフォルニア州で教育者の両親の元に生まれました。
彼女は1999年に子役としてテレビ映画デビューを果たし、その後ドラマ「アメリカン・ティーンエイジャー〜エイミーの秘密〜」で主演。
そしてアカデミー賞で作品賞含む5部門にノミネート(脚色賞受賞)されたアレクサンダー・ペイン監督作『ファミリー・ツリー』への出演で注目を浴びます。
そして『ダイバージェント』、『きっと、星のせいじゃない。』、『スノーデン』、『モーリタニアン 黒塗りの記録』などに出演しますが、『アドリフト41日間の漂流』、『愛しい人から最後の手紙』では、出演だけでなくプロデューサーとしても作品に参加しました。
また、シャイリーン・ウッドリーは政治活動にも積極的に関与していて、2016年アメリカ合衆国の大統領選挙では、いち早くバーニー・サンダース支持を表明。
そして石油パイプライン工事の中止を訴える運動のデモにも参加し、状況をSNSで生配信して工事現場への不法侵入の容疑で逮捕されました。
ハリウッドで成功した強い女優の象徴でもあるシャイリーンですが、実は挫折も経験しています。
彼女が15歳の時に両親が離婚して精神的に落ち込んでいた頃、脊椎そくわん症という背骨が側方に曲がってしまう病気を患って矯正具を使用しながら暮らしていたのです。
数年の時を経て病気を克服したシャイリーンは、人間として強くなれたと語っています。
人生には困難や障害が待ち受けていますが、その壁を乗り越えた時に人は大きく成長するのです。
フェラーリ
監督/マイケル・マン
出演/アダム・ドライバー、ペネロペ・クルス、シャイリーン・ウッドリー、パトリック・デンプシー 他
公開/7月5日(金) TOHOシネマズ日比谷 他
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Written by コトブキツカサ(映画パーソナリティー)
Profile/1973年生まれ。小学生の頃からひとりで映画館に通うほどの映画好き。現在、年間500本の映画を鑑賞し、すでに累計10,000作品を突破。1995年より芸人時代を経て、2010年より「映画パーソナリティー」としての活動を開始。近年は、俳優としての顔ももち、ドラマや映画にも出演。活動の場を広げている。